シタテルヒメ
下光比売命
安産の神
オオクニヌシの娘です。倭文神社の社伝によると、シタテルヒメは出雲から海を渡りこの地にやって来ました。人々に農業の指導をし、薬の知識を与えて、安産のための知恵を授けたと言い伝えられています。

創建は不明ですが、808年に作られた本に記録されています。
機織に携わった氏族である倭文氏が祖神のタケミカヅチを祀ったのが起源とされていましたが、社伝にはシタテルヒメに関するものが多く、大正時代まではシタテルヒメが主祭神であると考えられていました。
神社の記録によれば、シタテルヒメは出雲から船を使ってこの地に渡ったとされています。着船したとされる場所には、シタテルヒメが化粧直しに使った「化粧水」や、その際に腰を掛けた「お腰掛岩」が残っています。
境内の塚が「シタテルヒメ」の墓であると考えられていましたが、1915年に発掘調査を行ったところ「経典の墓」でした。ただ、出土品から、倭文神社が平安時代後期には伯耆国一宮であったことがわかりました。出土品は現在、国宝に指定されています。
かつて主祭神であったシタテルヒメにあやかって、安産祈願の神社として知られています。参道沿いにある「安産岩」には言い伝えがあり、難産の多かった女性が祈願したところ、夢にシタテルヒメが表れ、容易く出産できたと言われています。そのため、この岩を削って飲むと霊験があるとされています。
※写真は、5/1の例祭前夜に行われる「例祭宵宮」の様子です。
倭文神社
シトリジンジャ
創建
不明
社紋
亀甲に三菱
住所
鳥取県東伯郡 湯梨浜町大字宮内754
最寄駅
JR「松崎駅」下車約4キロ
駅よりタクシー
電話
0858-32-1985
祭
例祭 5/1

紀元前30年代に、高津天神という名前で創建されたと言われています。480年頃になって社殿が建てられました。「神名帳」では「名神大社」であり、「新嘗・相嘗」が行われる神社だと記録されています。
紀元後1570年ごろ、織田信長によってメイン神社を焼失したことで、所在不明の時期がありました。その後、1788年に古い記録を発見されたことによって、改めて「比売許曽神社」と再認識されるようになりましたが、その記録の信憑性は定かではありません。
相嘗、天皇が秋の農作物の収穫を祝う神事です。
比売許曽神社
ヒメコソジンジャ
創建
BCD.30年
社紋
榊の花
住所
大阪府大阪市東成区東小橋3-8-14
最寄駅
近畿大阪線
鶴橋駅 徒歩5分
電話
06-6981-0203
祭
例祭 10/15